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歌川国利『東京名所の内 浅草公園地 金龍山一覧の景』
版元:堤吉兵衛 明治22年(1889)

明治6年、浅草寺境内地は明治政府によって公園地とされた。仲見世は2階建レンガ造りとなり、参拝客の洋装も増えてきた。店も寿司、汁粉、はじけ豆、紅梅焼き、傘や人形といった江戸時代からのものだけでなく、西洋菓子や西洋小間物といったモダンなものも交じり、英語の看板も見える。奥山の花屋敷には、明治20年に鳳凰を頂く五層造りの奥山閣(おうざんかく)が造られた。また浅草六区のひょうたん池の傍には、木造の富士山縦覧場(ジオラマ)も作られた。(左端にあり)奥山閣は関東大震災で倒壊、富士山縦覧場は明治23年には取り壊されている。明治の赤絵と言うがごとく、桜花の赤が毒々しく移る。

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